GLOSSARY
味覚研究のことば
論文で使われる正確な名前と、読者が内容を理解できる説明は、どちらも必要です。 このページは難しい語を別の難しい語へ置き換える辞典ではありません。NIGAMI LABの記事を読むときに、研究者が何を見て、どう比べ、どこまで言えたのかを確かめるための案内です。
本文では用語の初出にも短い説明を添えます。詳しく確かめたいときだけ、この用語集や図鑑の概念項目を開いてください。
味覚
基本味
味を大きな種類に分けるときの基本的な区分です。NIGAMI LABでは、現在の食品科学で広く使われる甘味、塩味、酸味、苦味、うま味の五つを指します。料理の味わい全部を五種類へ 押し込む言葉ではありません。香り、温度、辛さ、しびれ、渋味、舌触りなどは、別の感覚として確かめます。
この記事での例: 苦味は基本味の一つですが、口が乾き粗くなる渋味は主に口内の触感として扱います。
調べ方
官能評価
人が目、鼻、口、皮膚などの感覚を使って、食品の見た目、香り、味、食感や好みを調べる方法です。 「おいしかった」という感想だけを集めることではありません。試料の出し方、評価する言葉、順番、 尺度などを決めて、条件をそろえて比べます。何を知りたいかによって、訓練を受けた評価者と一般の消費者を使い分けます。
注意: 機器が測った成分量やセンサーの出力は、人が答えた感覚の強さと同じ測定結果ではありません。
記録の設計
用語体系
対象の特徴を同じ言葉で記録し、比べられるように、用語とその意味を整理したものです。単なる単語一覧ではなく、 似た語をまとめたり分けたりし、各語が何を指すかを定めます。「米飯の官能評価用語体系」なら、炊いたご飯の 外観、香り、味、食感などを記述するための評価語の辞書と考えると入口がつかめます。
注意: 一つの食品のために作られた用語と定義が、別の食品にもそのまま当てはまるとは限りません。
評価する人
専門パネル(訓練パネル)
味や香りの特徴を、決めた言葉と手順で見分け、強さをそろえて記録できるよう訓練を受けた評価者の集まりです。 ここでの「専門」は、肩書や美食家であることを意味しません。試料を繰り返し評価し、言葉の意味や尺度の使い方を チーム内で合わせた人たちです。商品の好き嫌いを知りたい調査では、一般の消費者を対象にするほうが適切な場合があります。
評価するもの
官能属性
人の感覚で確かめる、食品の一つひとつの特徴です。「苦味がある」「香ばしい」「口が乾く」「硬い」のように、 評価の対象を分けた項目を指します。一杯のコーヒー全体を一語で採点するのではなく、苦味、酸味、香り、後味などを 別々に記録することで、何が違ったのかを比べやすくします。
意味の決め方
操作的定義
曖昧な言葉を研究で比べられるように、その研究では何を、どんな手順で、その言葉として扱うかを 具体的に決めることです。たとえば、ある研究が特定の試料を味わった後に残る感覚を「シュウ酸味」と名づけても、 それだけで「えぐみ一般の正体がシュウ酸」と証明されたことにはなりません。定義が通用する範囲は、使った食品と手順に残ります。
成分の分け方
分画
さまざまな成分が混ざった抽出液を、溶けやすさや吸着しやすさなどの違いを使って、いくつかの部分に分けることです。 分けた各部分を味わったり分析したりすると、どの部分に苦味や別の感覚が集まったかを比べられます。 ただし、一つの部分にも複数の成分が残りうるため、分画だけで原因物質が一つに決まるわけではありません。
結果の読み方
統計上はっきりした差
研究で決めた統計の条件に照らすと、観察された差を偶然のばらつきだけでは説明しにくい、という意味です。 論文では「統計的に有意な差」と書かれます。差が大きい、日常的に重要、原因が確定した、誰にでも当てはまる、 という意味ではありません。参加人数、差の大きさ、試料、研究設計も一緒に読みます。
このページを組み立てるために確認した資料
国際規格2件は、公開されている公式の適用範囲のみを確認しており、規格本文の定義を転載したものではありません。 ご飯とホウレンソウの例は、公開論文の本文を確認しています。
日本語の食品官能語
えぐみ
舌や喉にまとわりつく、いがらっぽい不快な後味を指す日本語で、米・しょうゆ・ほうれん草・たけのこなど食品ごとに定義の置き場所が揺れます。 研究では苦味と分けて測られ、ほうれん草ではえぐみに近い「シュウ酸味」と苦味が別の画分に分かれました。 この研究所では苦味と区別して記録し、詳しくは図鑑の項目と主題ハブ「苦味・渋味・えぐみ」、 両方が同時にある状態の名はえぐ苦いにあります。
時間軸の語
回甘(ホイガン)
中国茶の用語で、苦味や渋味のあとに口の中に甘さが戻ってくる感覚を指します。味の強さを一点で採点する方法では捉えにくく、 時間の中で記録する方法(時間強度法)が要ります。定義の揺れと記録法は図鑑の項目と研究ノート「回甘の時間」にあります。
調べ方
時間強度法(TI 法)
一つの感覚の強さを、口に入れてから消えるまで時間を追って記録する官能評価の方法です。苦味が「いつ立ち上がり、どれだけ残るか」を測れるので、 甘味を足したときや牛乳を加えたときに苦味の「目立つ時間」がどう変わるかを比べられます。 複数の感覚のうちどれが目立つかを追う方法(感覚支配時間法、TDS)と区別します。図鑑の項目へ。
この研究所の記録の設計
主張の確度
図鑑の主張カードに付く札です。確立(複数の独立した質の高い研究でおおむね一致)、支持(直接の根拠があるが、対象や条件が限られる)、予備的(少数・小規模・ヒト以外・間接の測定など)、係争(有力な研究のあいだで結論が割れる)、文脈的(歴史・文化・分類などの文脈の資料。確かさが低いという意味ではなく、資料の種類の違い)、観察(文献の時系列や現地の観察など、因果を分けて確かめていない記録)、未検証(出典や同定を追っている途中)。札は内容の重要さでは上がりません。 決め方の詳細はプロトコルにあります。
この研究所の提案語
苦味の交差点
苦味と別の味・感覚が並び立つ状態に付けた名です。辞書の語ではなく、この研究所が定義して使っています。 相手が自分の味を残さずに苦味を弱めただけなら、新しい名ではなく既存語の「ほろ苦い」で呼びます。 地図と決まりは苦味の交差点にあります。
- 甘苦い(あまにがい)
- 甘味が苦味を弱めながら、どちらも味として残っている状態。
- しょっぱ苦い(しょっぱにがい)
- 塩味が苦味を抑えつつ、塩気と苦味の両方が舌に残る状態。
- すっぱ苦い(すっぱにがい)
- 酸味と苦味が同時に立ち、どちらが先とも言えない状態。柑橘に多い。
- うま苦い(うまにがい)
- 旨味に支えられた苦味。出汁・発酵・内臓の料理で、苦味が欠点でなく厚みとして残る状態。
- から苦い(からにがい)
- 辛味の刺激と苦味が重なる状態。しびれ(山椒)もここで扱う。
- しぶ苦い(しぶにがい)
- 渋味の収斂と苦味が同時にある状態。茶・柿・赤ワイン。
- えぐ苦い(えぐにがい)
- えぐみと苦味が重なる状態。ほうれん草・たけのこ・山菜。
- こげ苦い(こげにがい)
- 焙煎や焦げが作る苦味に香ばしさが伴う状態。深煎り・おこげ・鍋巴。
調べ方
閾値(検出閾値・認識閾値)
ある濃度から数えて、感覚がどこで現れるかを示す境目です。「何かがあると気づく」検出閾値と、「それが苦いと分かる」認識閾値は 別の値として区別されます。リモニンやナリンギンの苦味認識閾値は、 蒸留水に溶かした場合とオレンジジュースの中とで別々に報告されており、同じ物質でも溶液と食品では値が変わります。
この記事での例: キニーネの塩酸塩では、検出閾値が認識閾値より高い濃度で報告された例があり、閾値の大小がいつも同じ順序に並ぶとは限らないことを示しています。
しくみ
苦味受容体(TAS2R)
舌などの細胞表面にあって化合物を受け取る、ヒトの複数のサブタイプに分かれるタンパク質の総称です。サブタイプごとに 応答する化合物の範囲が違い、同じ化合物でもよく応答するサブタイプとほとんど応答しないサブタイプがあります。TAS2R38には一般的な型としてPAVとAVIという遺伝子の違い(ハプロタイプ)が知られ、型によって 応答の出方が変わります。受容体が化合物に応答することと、人が口に入れてその化合物を苦いと感じることは、別の階層の出来事として 区別して記録します。
調べ方
受容体アッセイと EC50
培養した細胞に苦味受容体を発現させ、化合物を加えたときの細胞の反応を測る方法です。反応が現れ始める濃度をしきい値濃度として比べ、 化合物によってどの受容体をどれだけ低い濃度で動かすかを記録します。この方法が調べているのは受容体という分子の性質であり、 人が口に入れて苦いと感じるかどうかを直接確かめる官能評価ではありません。ある化合物が特定の受容体を低い濃度で活性化したという結果は、 その化合物が苦いということをそのまま意味しません。
この研究所の記録の設計
層(溶液・細胞・食品・文献)
図鑑の主張に付く、どんな場面で確かめられた結果かを示す区分です。溶液は水などに化合物を溶かしたモデル溶液での 官能評価、細胞は苦味受容体を発現させた培養細胞での実験、食品は実際の食品を使った官能評価や分析、文献は規格・辞典・総説など一次データそのものではなく記述をまとめた資料を指します。同じ主張でも層が違えば、 確かめられた範囲は変わります。
決め方の詳細はプロトコルにあります。
時間軸の語
苦味順応
同じ苦味刺激にさらされ続けると、感じ方が変わっていく現象です。研究では、刺激物質の濃度だけでなく、溶液の温度や、 他の味と混ざっているかどうかも一緒に記録します。同じ苦味物質でも、提示する温度が変わると知覚される苦味の強さが 影響を受けることが確かめられています。
図鑑の項目は苦味順応。
時間軸の語
苦味の持ち越し
先に味わった刺激が、次に味わう苦味の感じ方に影響を残すことです。後に続く苦味刺激の最大の強さや、強さの立ち上がり方、 感じている時間の長さに影響が及ぶことがあります。影響の向きは組み合わせによって決まり、実際の飲料の組み合わせでも、 先に飲んだものと後に飲んだものを入れ替えると持ち越しの現れ方が変わることが確かめられています。
図鑑の項目は苦味の持ち越し。
時間軸の語
苦い後味
飲み込んだり吐き出したりした後にも残る苦味の局面です。他の味と混ぜて味わっていたときに抑えられていた苦味が、 混合の効果が薄れることで改めて現れる場合も含みます。苦味と甘味を混ぜた溶液に慣れた後、苦味の刺激だけを単独で味わうと 苦い後味が残り、甘味の刺激だけを単独で味わうと甘い後味が残る、という記録があります。
図鑑の項目は苦い後味。
調べ方
感覚の時間的優位性(TDS)
口に入れてから感覚が消えるまでの間、その瞬間ごとにもっとも注意を引いている感覚を選んで記録していく官能評価の方法です。 苦味・甘味・渋味など複数の属性が入れ替わりで優勢になる様子を追いかけます。一つの感覚の強さを時間に沿って記録する 時間強度法(TI法)とは別の方法で、両者は同じ意味では使いません。
図鑑の項目は感覚の時間的優位性(TDS)。時間強度法はこちら。
しくみ
味混合による抑制
複数の呈味物質を混ぜて味わったとき、そのうちの一方、または双方の感じられる強さが単独で味わったときより下がる現象です。 すべての組み合わせに同じように働く一つの法則ではなく、どの刺激をどの濃度で混ぜたか、味わう人による違いも一緒に記録します。 たとえばカフェインとショ糖を混ぜると、単独のときより弱く感じられる相互の抑制が確かめられています。
図鑑の項目は味混合による抑制。研究ノート「苦味を消す調味料はある? — 砂糖・塩で変わること」も参照。
味覚
化学感覚
化学物質が舌や口の中の体性感覚の経路を刺激することで生じる感覚です。ぴりぴりする刺激感、熱く感じる・冷たく感じる温度感、 軽い刺激が続くようなチクチクした感覚などを含みます。甘味・酸味・塩味・苦味のような基本味とは別の経路で生じるため、 同じ被験者で両方を試験しても、味覚の感受性の違いが化学感覚の感じ方には現れないことが確かめられています。
調べ方
電子舌
低い選択性しかない化学センサーを複数並べ、重なり合う信号を統計的なデータ処理と組み合わせて、人の味評価の代わりに 使おうとする機器です。化学的に似た物質どうしを比べる場合には人の苦味評価と近い結果になると報告されていますが、 性質の異なる物質をまとめて比べると順位が一致しなくなります。電子舌の分析は苦味を含む味全般の定量的な評価を 可能にするものではないと述べる研究もあり、人の官能評価の代わりにはならない場面が残ります。
図鑑の項目は電子舌。
単位
苦味単位(BU/IBU)
ビールの抽出液を特定の波長で測る分光光度法によって求める数値で、ビールの苦味を表す代用の指標として使われています。 ホップ由来のイソα酸の量を反映するように作られていますが、測定条件によっては、実際に感じられる苦味の強さや イソα酸の濃度と一致しなくなる場合が確かめられています。数値が高いことが、そのまま強い苦味の体験を保証するわけではありません。
図鑑の項目は苦味単位(BU/IBU)。主題ハブ「ビールの苦味とIBU」に詳しい記事があります。
単位
苦味価(薬局方の単位)
ある物質をどこまで薄めても苦味が感じられるかを基準に、希釈の倍率として表す値です。薬局方などの評価文書で、 苦味を持つ生薬の規格として報告されます。アマロゲンチンには、欧州の生薬学の教科書に 由来する苦味価が報告されています。数値は希釈法という測定手順に強く依存するため、別の測定条件で得た値をそのまま 比べることはできません。
苦味植物の候補であるホアハウンドのように、苦味成分の含有量は報告されていても、苦味価そのものは確かめられていない項目もあります。
しくみ
Q ルール
ペプチドのアミノ酸組成だけから、苦く感じられやすいかどうかを見積もろうとする経験則です。平均的な疎水性が高く、 分子量がある範囲に収まるペプチドほど苦味を示すと予測します。提案から時間が経つ中で、この規則に当てはまらない例も 報告されており、平均疎水性がより低い画分のほうがかえって強い苦味を示した研究もあるため、ペプチドの苦味を 説明する万能の法則としては扱われていません。
図鑑の項目はQ ルール。
物質
苦味ペプチド
発酵、チーズの熟成、酵素による加水分解の過程で、カゼインや大豆タンパク質などの食品タンパク質が分解されて生じる、 疎水性のオリゴペプチドの総称です。生成される多くが苦味を呈することが確かめられていますが、すべてのペプチドが 同じ強さで苦いわけではなく、配列や大きさによって程度が変わります。培養細胞を使った実験では、こうしたペプチドの 一部が苦味受容体を活性化することも確かめられていますが、それは受容体レベルの反応であり、人が口に入れて感じる 苦味の強さをそのまま示すものではありません。
物質
グルコシノレート類
アブラナ科の野菜に特徴的に含まれる、硫黄を含む植物代謝産物の総称です。含まれるグルコシノレートのすべてが 同じように苦いわけではなく、種類によって苦味への関わり方は一様ではありません。総量が苦味の評定を予測する 手がかりとして使われることもありますが、その関係の強さについては見解が分かれています。刻む・切るなどの 調理操作を受けると、一部は分解してイソチオシアネートに変わり、苦味とは別の刺激感や香りの側の成分になります。
図鑑の項目はグルコシノレート類、加水分解産物はイソチオシアネート類。
物質
リモノイド(リモニン・ノミリン)
柑橘の果実や搾汁後のジュースにみられる、苦味に関わる一群の化合物です。リモニンは、搾汁した直後は苦くない 前駆体として存在し、貯蔵の間に苦味のある形へ変わることで、遅れて現れる苦味に関連づけられています。ノミリンも 柑橘の苦味に関わりうるリモノイドで、いずれも収穫後の貯蔵期間や加熱、pH、ろ過といった加工条件によって濃度が 変わります。リモニンとノミリンを一緒にすると、それぞれを単独で測った場合より低い濃度で認識されるようになることも 確かめられています。
物質
イソα酸
ビールの麦汁を煮沸する過程で、ホップに含まれるα酸が形を変えてできる化合物です。煮沸の段階でホップを加える 醸造法でつくられるビールでは、古くから知られている主要な苦味化合物として扱われます。シスとトランスという 二つの立体異性体の対として存在し、無ホップのビールを土台にした試験でヒトの検出閾値が測定されています。
図鑑の項目はイソα酸。ホップ由来苦味酸全体はこちら、主題ハブは「ビールの苦味とIBU」。
食経験の語
獲得嗜好
最初は中立、あるいは苦手だと感じていた食品の特徴に対して、食べ続ける経験を通じて好ましさが増していくことを 指します。単に繰り返し口にするだけで十分なのか、栄養や薬理的な効果との結びつきが必要なのかについては見解が 分かれています。コーヒーを日常的に飲む人が苦味をより強く評価するという報告や、なじみのなかったチーズを 繰り返し口にするうちに苦味などの否定的な言葉を選ぶ頻度が下がったという報告があります。
図鑑の項目は獲得嗜好。研究ノート「苦いものを好きになるという才能」も参照。
日本語の食品官能語
雑味
清酒の官能評価で慣用的に使われてきた日本語です。酒類総合研究所の清酒香味品質評価用語体系は、雑味を 「苦味、うま味、渋味及びその他口あたりが不快な味」という複合的な感覚を指す語と操作的に定義し、主観的な 感覚の色合いが強いことを理由に、標準の用語体系そのものからは外しています。単一の基本味や単一の化合物に 還元される語ではありません。原料米のタンパク質量が多いほど清酒の雑味が多いという経験則については、 グルテリン由来の苦味ペプチドの生成量がその一因として考察されています。
図鑑の項目は雑味、関連する物質群は清酒グルテリン苦味ペプチド。