研究ノート 054 — 2026-09-07
アク抜きの科学は、苦味を測ってこなかった
台所で「アクを抜く」と言うとき、そこには苦味・えぐみ・渋味・色の変化がまとめて入っている。 山菜を灰や重曹を入れた湯で茹でる、たけのこを米ぬかと煮る、青菜を茹でこぼす——どれも一つの言葉 「アク抜き」の下に並ぶ。この一語は、下ごしらえの手順としては便利でも、何が実際に動いているのかを 覆い隠す。しかし食品の官能評価の資料は、この一語をそのまま測ってはいない。 えぐみと苦味は、いくつかの研究で最初から別の評価項目として立てられている。
このページの内容(10 節)
この頁でわかること
- 苦味とえぐみは、複数の研究で最初から別の評価項目として測られている。
- 1980年の総説はすでに、苦味成分が調理でどのように変わるかの研究がほとんど無いと結んでいた。
- 茹でることでグルコシノレートがどれだけ茹で水に出るかは、研究によって回収率の報告が大きく分かれ、一つに定まっていない。
- 山菜のアク抜き(灰・米ぬか・重曹を使った下処理)が苦味そのものを動かすかどうかは、まだ測られていない。
えぐみと苦味は、別のものとして測られている
炊いたご飯を対象にした評価語の辞書では、えぐみは舌や喉にアクがまとわりつくようないがらっぽい感じと 定義され、苦味とは別の項目として置かれている。
範囲: 人が目・鼻・口などの感覚で炊いたご飯を調べ、特徴を同じ言葉で記録するために作られた評価語の辞書
注記: 論文では「米飯の官能評価用語体系」と呼ぶ。炊いたご飯という製品領域で使うための定義であり、えぐみ一般の唯一の定義や単一受容機構を示すものではない。
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concept-egumi —is_defined_in_context_as→ "舌や喉にアクがまとわりつくような、いがらっぽい感じ"しょうゆを対象にした評価では、逆に渋味とえぐ味が一つの項目にまとめられ、苦味とその後味のほうが 別の項目として切り離されている。渋味とえぐ味という異なる感覚が、一つの言葉の内側に同居している例である。 渋味は渋柿を食べたときに感じる舌の収れんや硬水・ニガリ特有の味と結び付けられ、苦味はカフェインの味、 苦味の後味はしょうゆを味わって10秒後も舌に残る苦味として、それぞれ別の項目に定義し直されている。
範囲: 訓練を受けた評価者が決められた言葉ごとに強さを採点し、市販しょうゆ12銘柄を比べた研究
注記: 確認できた抄録では渋味とえぐ味を別々の点数へ分けられない。炊いたご飯やホウレンソウで使われた定義とも同一視しない。
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concept-egumi —is_presented_as→ "渋味とえぐ味をまとめた一つの評価項目"ほうれん草では、水で取り出した成分を吸着材に通すと性質の違う二つの群に分かれ、苦味はその一方に集まった。
範囲: ホウレンソウから水で取り出した成分を吸着材に通し、性質の違う二群へ分けた一研究
注記: 研究内で意味を決めた「シュウ酸味」は水で流れ出た側、苦味はその後エタノールで取り出した側に集まった。すべての食品のえぐみがシュウ酸由来という主張ではない。
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concept-egumi —can_be_measured_separately_from→ sensation-bitterこの分離を踏まえた結論は、ほうれん草の苦味はえぐみの候補として名指しされてきたシュウ酸とは別の 成分が担うというものだった。えぐみの原因として語られてきたものと、苦味そのものは同じ実体ではない。
範囲: 層: 食品。ホウレンソウ生葉・水抽出液・茹で汁と、その固相抽出分画(水溶出画分/エタノール溶出画分)。少人数(著者を含む)による官能評価。
注記: 出典の要約は「ホウレンソウの苦味については、シュウ酸とは異なる成分によるものと考えられる」と結論している。シュウ酸味(えぐ味論争の対象)と苦味は同一実体ではないとする結論。 既存の主張(えぐ味は苦味と分けて測れる)を補う別命題: ほうれん草の苦味物質はシュウ酸ではない、という同定側の結論。
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sensation-bitter —is_not_synonymous_with→ concept-egumi1980年の総説が、すでに書いていたこと
この切り分けを踏まえて振り返ると、1980年に書かれた苦味成分の総説の姿勢が見えてくる。この総説は、 尿素からブルシンまで10種並ぶ苦味物質のヒトの閾値を表にまとめ、化合物ごとの苦味の強さを比べていた。
範囲: 層: 溶液。総説が第 2 表として引いた閾値表(原資料は総説の引用文献)。
注記: 総説の表からの転記。原資料での測定条件は未確認。
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sensation-bitter —is_documented_as_having→ "1980 年の総説が引く苦味物質のヒト閾値(mol): 尿素 0.12、フェニル尿素 0.025、硫酸マグネシウム 0.0046、カフェイン 0.0007、ナリンジン 0.000025、ニコチン 0.000019、キニーネ 0.000008、ピクリン酸 0.0000037、ストリキニーネ 0.0000016、ブルシン 0.0000005。ナリンジンの苦味の強さはキニーネの閾値の約 1/10 に相当する程度"ところが同じ総説は結びで、植物性食品に含まれる苦味成分の生成や、それらが調理によってどのように 変化するかの研究はほとんど行なわれていないと書き残していた。化合物単体の苦味の強さは表にできても、 調理という操作がその苦味をどう動かすかは、1980年の時点ですでに空白として名指しされていた。
範囲: 層: 文献。1980 年時点の日本の調理科学の総説(食品の苦味成分の概観)の結語。
注記: アク抜き・下処理と苦味の関係を実測した研究の空白を、1980 年の時点で研究者自身が書いていた記録。
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process-aku-nuki —is_documented_as_having→ "1980 年の総説の結び: 「植物性食品などに含まれる苦味成分の生成、その防止などの研究は今後に待つところが多い。また、これら苦味成分が調理によって、どのように変化するかなどの研究は、ほとんど行なわれていない。」"その後測られたのは、抜けるものより、出るもの
総説の後に進んだのは、苦味の評点そのものより、茹でることで何が水に出るかという機構の研究だった。 アブラナ科野菜を茹でた実験では、失われたグルコシノレートの9割ほどが茹で水から回収されたとする 報告がある一方、別の実験では脂肪族で7%、インドール系で18〜20%しか茹で水から回収されず、 加熱後の試料と合わせても100%には届かなかった。浸出だけでは説明しきれない部分が残り、 機構そのものが研究間で一致していない。野菜の種類や切り方、加熱の到達温度が研究間で異なるため、両者の回収率を単純には比べられない。
範囲: アブラナ科野菜の加熱実験(素材・切り方・到達温度の差が乖離に寄与しうる)
注記: 現象(茹でると減る)は両研究一致。機構のみ係争中。
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process-vegetable-boiling —has_currently_proposed_mechanisms→ "茹でによるグルコシノレート損失の機構: 浸出主体(失われた分の約9割を茹で水から回収)と、熱分解の関与(茹で水回収率が脂肪族で約7%・インドール系で18–20%にとどまり合計が100%に届かない)が研究間で対立"ルピナスの種子でも、浸漬と茹でによって苦味アルカロイドの89〜97%が種子から除かれ、最短では 1時間の工程も報告されている。伝統的には塩水に浸けて洗う工程が知られており、これとは別に 生物的な処理・化学的な処理・水だけを使う処理という複数の方法が並行して報告されている。 ここで測られているのは種子に残る化学成分の量であり、口に含んだときの苦味の評点そのものではない。
範囲: アンデスの伝統処理および食品加工研究
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process-lupin-debittering —reduces→ "種子中QAの89–97%(水処理と茹で)。伝統的には塩水浸漬と洗浄。生物的・化学的・水系の各法があり、最短1時間の工程も報告される"ふきのとうの苦味は、水に出にくい
ふきのとうでは、熱水抽出物にも希アルコール抽出物にも苦味がほとんど移らないという報告がある。 この結果を受けて、報告した研究者は苦味を配糖体として捉える見方を離れ、有機溶媒での抽出に 切り替えた。
範囲: 栗原(1972)が報告したふきのとうの抽出試験
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ingredient-fukinoto —has_bitterness_poorly_extracted_by→ "熱水抽出物と希アルコール抽出物には苦味がほとんど移行しない。著者は苦味配糖体仮説を放棄し有機溶媒抽出を用いた"切り替えた抽出から得られたのは、融点95℃で風乾植物の0.09%を占めるイソペタシンと、収率0.2%の フキノンという、いずれも苦味を持つと記述された油状・結晶性の物質だった。水に溶け出しにくい 性質を持つ物質が、ふきのとうの苦味の少なくとも一部を担っている以上、湯にさらす操作がその苦味を どこまで動かすかは、抽出の結果からは読み取れない。
範囲: バッケノリドB単離と同じ風乾ふきのとう材料
注記: 苦味の強度・閾値・寄与率は記載されておらず、苦味を有するという定性記述のみ。抗菌性試験ではいずれの苦味物質も抗菌性を示さなかったと記載。
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ingredient-fukinoto —contains→ "イソペタシン(融点 95 C、風乾植物の 0.09%、苦味)とフキノン(油状、減圧蒸留で収率 0.2%、苦味)"隠す側の研究は進んだ
苦味そのものを動かした操作として測られているのは、抜くことより隠すことに近い。ブロッコリー・ほうれん草・ケールのピューレに砂糖を0〜1.8%の4段階、または食塩を0〜0.2%加えた実験では、3種すべてで、苦味の強さが下がり、 食感や香りといった他の感覚特性は変わらなかった。
範囲: 層: 食品。ブロッコリー・ほうれん草・ケールの緑色野菜ピューレ、訓練された成人パネル9名による評価(実験1)。
注記: 検索エンジン経由の要約に基づく(全文原本は未確認)。3種の野菜すべてで同様の傾向が報告されており、ほうれん草だけに限定した数値は要約からは切り分けられない。
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ingredient-spinach —has_perceived_bitterness_suppressed_by→ "ほうれん草ピューレへの少量の砂糖(0〜1.8%、4段階)または食塩(0〜0.2%)の添加により、苦味強度が低下した。食感・香りなど他の官能特性は変化しなかった。"一方、ゴーヤの果実片を3.5%の食塩水に25℃で60分浸けた実験では、苦味評点は未処理の果実とほぼ変わらなかった。ただし処理区はしぼる前に湯通しも経ており、塩水そのものの効果とは完全には切り分けられていない。塩に浸けるという同じ発想の操作でも、対象や条件によって苦味への効き方は分かれる。
範囲: マレーシアの1研究で訓練パネル10名が評価したゴーヤジュース
注記: 塩もみで苦味が減るという民間的予想に反するヌル結果。同じ処理は苦味でなく酸味を有意に低減した。単一研究・単一果実ロット。
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ingredient-bitter-gourd —has_perceived_bitterness_unchanged_by→ "搾汁前に果実片を 3.5% (w/v) NaCl 溶液に 25 C で 60 分浸漬(15 cm ラインスケールで苦味 10.6 +/- 1.1 対 未処理 10.7 +/- 1.7、p > 0.05)"山菜の下処理は、まだ未検証の行のまま
ふきのとうの茹でこぼし、たけのこの米ぬか、わらびの灰や重曹。下処理帳でこれらは、判定の欄が空いた「未検証」の行として並んでいる。 空いているのは資料を探していないからではなく、探して見つからなかったからで、その経緯は行ごとに仮説採集箱の項目につないである。 行の形は決めてある。食材、方法、条件、狙う成分、判定、根拠。根拠の欄に主張が入った瞬間に、その行は未検証から「減る」「変わらない」「増える」のどれかへ移る。
移すために必要な実験は大がかりではない。同じ食材を同じ日に買い、茹でこぼしの回数か、米ぬかの有無か、重曹の量か、変数を一つだけ変えて二つか三つの条件を作る。 同じ尺度で苦味の強さを付け、日付と材料の来歴を残す。この型は苦味の交差点の「家で確かめる」と同じで、記録は測る場の表に入る。
空白は台所で埋められる
1980年の総説が指摘した空白は、苦味成分が調理でどう変化するかだけではなかった。植物性食品に 含まれる苦味成分がそもそもどう生まれ、それをどう防ぐかという生成側の研究も、同じ結びの中で 今後に待つところが多いと書かれていた。その後この空白の一部を埋めたのは調理側の研究であり、生成側の空白がどこまで埋まったかは、また別に確かめる必要がある。
調理側についても、この空白は台所で埋めることができる。同じ食材を用意し、下処理の条件だけを 一つ変えて食べ比べ、苦味の強さをそのつど言葉か数字で書き残す。茹でこぼしの回数や時間、水さらしの 長さ、米ぬかの有無を一つずつ動かして記録すれば、この帳面にまだ無い行を埋める最初の一歩になる。
よく問われること
アク抜きをすると苦味は減るのか
灰や重曹、米ぬかを使った伝統的なアク抜きが苦味の量そのものを動かすかどうかは、この資料の範囲では確かめられていない。測られてきたのは主に別の操作で、ゴーヤを塩水に浸けた実験では苦味の評点は未処理の果実とほとんど変わらなかった一方、ほうれん草などの緑色野菜のピューレに砂糖や食塩を加えた実験では苦味が下がったと報告されている。これらは苦味を「抜く」というより「隠す・和らげる」に近い操作であり、灰汁抜きの手順そのものを対象にした苦味の測定はまだ見当たらない。
アク(えぐみ)と苦味はどう違うのか
食品の官能評価では、えぐみと苦味は別の評価項目として立てられることが多い。炊いたご飯の評価語をまとめた辞書は、舌や喉に残っていがらっぽく感じるものとしてえぐみを定義し、苦味とは別の項目に立てている。ほうれん草では、水に溶け出す成分とエタノールに溶け出す成分に分けたところ苦味は後者に集まり、えぐみの原因として名指しされてきたシュウ酸とは別の成分だと報告されている。ただしこの切り分けは対象や研究によって異なり、しょうゆの評価では渋味とえぐ味が一つの項目にまとめられている例もあり、一律の定義があるわけではない。
分かっていないこと
- 灰・重曹・米ぬかそれぞれを使ったアク抜きが苦味の量を実際に減らすかどうかは、この資料の範囲では見つからなかった。
- グルコシノレートの茹で水への回収率が浸出だけで説明できるか、熱分解がどれだけ関与するかは、研究間で結果が分かれたまま定まっていない。
- ふきのとうの苦味物質(イソペタシン・フキノン)が湯にさらす操作でどれだけ動くかを直接測った実験は、見つからなかった。
- ルピナスの脱苦味について測られているのは種子に残る成分の量で、同じ工程で口に含んだときの苦味の評点まで測った資料には、たどり着けていない。
- ほうれん草・ゴーヤ以外の山菜で、下処理の条件を一つずつ変えて苦味を比べた実験は、この資料の範囲では見当たらない。
関連: えぐみ /ふきのとう /アク抜き /下処理帳 /仮説の保存先 /研究ノート053: 台所の下処理を、苦味の実測で読み直す
この頁の引用のしかた
青木大(NIGAMI LAB)(2026). アク抜きの科学は、苦味を測ってこなかった. https://nigamilab.com/notes/aku-nuki-unmeasured-bitterness/
主張ごとの固定リンクは各カードの #clm-… です。データは CC BY 4.0、配布は データを使う。 データセットの DOI: 10.5281/zenodo.22739101