研究ノート 022 — 2026-09-01
苦味はどう公認されるか——制度の中の苦味
苦味は、この研究所でもたびたび「困った味」として扱われてきました。抜こうとされ、除かれ、あるいは覆い隠される味覚です。 ところが、この研究所に収載された規制文書・disciplinare・国際機関決議・業界標準を並べ直すと、 まったく逆の光景が見えてきます。世界の制度は、苦味を定義し、守り、そして点数をつけてきました。 このノートは、苦味が制度の中でどう扱われているかを、確認できている資料だけで三つの型に整理するものです。
型1 — 法がカテゴリとして定義する
もっとも直接的な公認の形は、法令そのものが「苦い」を製品カテゴリの境界線として使うことです。 EUの蒸留酒規則は、農業由来エタノールを植物・香辛料で香味付けした「支配的に苦い味」のスピリッツを、 独立した法定類型として定めています。
範囲: EU。Regulation (EU) 2019/787 Annex I 第30類 (a)-(d)
注記: 英語条文に『amaro』の語自体は登場しない(全文検索で確認)。アマーロという類型名とEUカテゴリの対応づけは当方の整理であり、法文上の同義ではない。
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ingredient-amaro —corresponds_in_eu_law_to→ "「bitter-tasting spirit drink or bitter」= 農業由来エタノール/蒸留物を着香して製造される『支配的に苦い味』のスピリッツ(最低15%)。ビター系リキュールにも『bitter』表記が認められる(法文に amaro の語は登場しない。対応づけは当研究所の整理)"同じ規則の別の類型では、苦味の扱いはさらに踏み込みます。アクアビットの法定定義は、 風味がキャラウェイまたはディルの蒸留物に由来することを求めるだけでなく、 「苦味物質が味を明らかに支配してはならず、乾燥エキス分は100ミリリットルあたり1.5グラムを超えてはならない」という、 苦味の上限そのものに数値を与えています。
範囲: EU。Regulation (EU) 2019/787 Annex I 第24類 (a)-(d)
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ingredient-akvavit —is_defined_in_eu_spirit_rules_as→ "キャラウェイまたはディルの種子で香り付けした蒸留酒で、農業由来エタノールを植物・香辛料の蒸留物で香り付けして製造。最低アルコール度数37.5%。天然香味物質・香味製剤の追加使用は可だが、風味はキャラウェイ(Carum carvi L.)またはディル(Anethum graveolens L.)種子の蒸留物に主として由来しなければならず、精油の使用は禁止される。加えて『苦味物質が味を明らかに支配してはならず、乾燥エキス分は100ミリリットルあたり1.5グラムを超えてはならない』。"アルゼンチンの食品法典(Código Alimentario Argentino)第1129条も、同じ発想で苦味をカテゴリの軸に据えています。 アペリティボ類は「食欲を刺激する性質を帰属させうる苦味および/または芳香性の成分を含む」飲料と定義され、 その中でも風味が支配的に苦い製品には、複数の呼称が同格で認められています。
範囲: Argentina
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ingredient-fernet —is_defined_in_regulation_as→ "『Aperitivos』(20°Cで0.5%〜54% volのアルコール度数を持ち、食欲を刺激する性質を帰属させうる苦味および/または芳香性の成分を含み、コード上許可された一種以上の植物またはその部位の抽出物から得られる飲料)の一種で、風味が支配的に苦い製品として FERNET・BITTER・AMARGO・AMARO の呼称が認められるもの"範囲: Argentina
注記: CAA第1129条はFERNET/BITTER/AMARGO/AMAROを『風味が支配的に苦いアペリティボ』の同格の呼称として列挙する。既存ingredient-amaro(イタリア語圏の類型記述)とアルゼンチン法上の並置呼称とを接続する橋渡しclaim。
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ingredient-fernet —is_listed_as→ "アルゼンチン食品法典第1129条の『風味が支配的に苦いアペリティボ』の同格呼称の一つ(FERNET・BITTER・AMARGO・AMARO が並置される)"苦味を法が公認する対象は、蒸留酒に限りません。アルゼンチンでは、マテという苦い飲みものの飲み方そのものが 国内法によって定義され、さらに「国民的飲料」という文化的な地位まで法律で与えられています。
範囲: アルゼンチン、国内法(2013年制定)
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ingredient-yerba-mate-infusion —is_defined_in_regulation_as→ "『yerba mateという食品を基に調製された飲みもので、容器に入れ熱湯で湿らせ、bombilla(吸い管)を通して飲むもの』(Ley 26.871第2条。原文: "la infusión preparada en base al alimento de yerba mate, que colocada en un recipiente y mojada con agua caliente, es bebida mediante una bombilla")"範囲: アルゼンチン、国レベルの公式行事
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ingredient-yerba-mate-infusion —has_cultural_role_of→ "Ley 26.871(2013年7月3日制定)により「Infusión Nacional(国民的飲料)」に指定され、国の公式な文化・社会・スポーツ行事ではマテ国民飲料の表現とロゴを掲示し、その飲用と慣習の普及を図ることが定められている。"南米の反対側、ペルーの高地ではまた違う形の法定カテゴリが働いています。ペルー国家規格(NTP 011.400)は、 tunta(凍結脱水させた芋の保存食)を、定められた工程を経て作られるものとして定義しています。
範囲: ペルー・ボリビアのアルティプラーノ(標高3800m以上)
注記: NTP 011.400 定義4.1に基づく。
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ingredient-tunta —is_prepared_by→ process-tunta-chuno-processingこの規格が原料として指定するのは、在来の苦味種「papa amarga」を含む、複数系統のジャガイモです。 苦い品種であることそのものが、規格上の原料区分の一部として書き込まれています。
範囲: ペルー・アルティプラーノ
注記: NTP規格の定義4.8/4.9とCIP実務ガイドのCuadro2が一致。
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ingredient-tunta —is_derived_from→ "在来の苦味種(papa amarga: S. juzepczukii, S. curtilobum、通称Piñaza・Lucki・Locka・Choquepito・Parina等)、在来の非苦味種(papa dulce: S. tuberosum spp. andigena、通称Imilla negra・Imilla blanca等)、および改良品種(S. tuberosum spp. andigena、通称Canchán・Ch'aska・Perricholi等)。"型2 — 産地・製法を守る
法が「これは苦い」と線を引くだけでなく、苦味を生む産地や製法そのものを保護の対象にする制度もあります。 イタリアのヴェルモット・ディ・トリノは、EU地理的表示(IGP)として登録されたアロマタイズドワインで、 disciplinareはその定義の中に、苦味を担う植物の使用を明記しています。
範囲: イタリア。Decreto 22 marzo 2017, n. 1826(disciplinare本文)
注記: 地理的表示の法的定義であり、個別銘柄の製法を保証するものではない。
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ingredient-vermouth-di-torino —is_defined_in_regulation_as→ "ピエモンテ州で得られる、一種以上のイタリア産ワイン製品にアルコールを加え、主にArtemisia属(他の許可香草・香辛料も併用)で香味付けしたアロマタイズドワイン(disciplinareの定義)"苦味の担い手そのものにも、最低含有量という数値基準が定められています。 Artemisia属のうちabsinthium種および/またはpontica種の使用が必須とされ、 乾燥植物換算で最終製品1リットルあたり最低0.5グラムという下限が規格に書き込まれています。 苦味を生む植物を「入れてもよい」のではなく「一定量入れなければならない」と定める点が、この型の特徴です。
範囲: イタリア。Decreto 22 marzo 2017, n. 1826(disciplinare本文)
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ingredient-vermouth-di-torino —requires_minimum_content_of→ ingredient-wormwoodこの定義は、EUの地理的表示制度によって法的な保護を受けています。
範囲: EU。Regulation (EU) 2020/198 第2条・Recital 5・8
注記: 登録手続きの事実記録。個別銘柄の商業的地位を保証する主張ではない。
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ingredient-vermouth-di-torino —is_registered_as_eu_geographical_indication→ "Regulation (EU) No 251/2014 第21条・第26条(1)(3)を法的根拠として、Commission Implementing Regulation (EU) 2020/198により『Vermut di Torino』/『Vermouth di Torino』がアロマタイズドワイン製品の保護地理的表示として登録簿に掲載された。イタリアの技術ファイル及び国内承認は2020/198の記録上2017年3月24日に受理されたとされる。"苦味植物リキュールが受ける公認は、EUの地理的表示だけではありません。ハンガリーのUnicumは、 国家的価値の保護制度そのものに「Hungarikum」として登録されています。
範囲: ハンガリー。114/2013. (IV. 16.) Kormányrendelet(ハンガリー国家的価値およびHungarikumの保護に関する政令)第III号附属書に基づくHungarikum Bizottság(ハンガリー農業省所管)への申請・審査手続きを経て登録
注記: 登録サイトは『Hungarikum - 2015』と表示(2015年登録)。登録は特定商品名(Unicum)そのものに対する国家的評価であり、一般名『keserűlikőr』(苦いリキュール)という類型全体への法定基準ではない。伊のPAT・GI登録の記録と同型の、制度による公認の記録。
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ingredient-unicum —is_registered_as→ "Hungarikumok Gyűjteménye(Hungarikumコレクション)およびMagyar Értéktár(ハンガリー価値台帳)の双方に、専門分野カテゴリー『Agrár- és élelmiszergazdaság』(農業・食料経済)として登録。"型3 — 測り方・言葉を標準化する
三つ目の型は、苦味そのものを製品として保護するのではなく、苦味をどう測り、どう呼ぶかを 業界横断で標準化する制度です。ぶどう・ワイン国際機構(OIV)の国際コンクール決議は、100点法の採点票に、 苦味を味の質の構成要素として明記しています。
範囲: RÉSOLUTION OIV/CONCOURS 332A/2009(国際ぶどう酒(ワイン)・ぶどう酒由来蒸留酒コンクール規格、加盟国決議として正式採択)の100点法採点票『QUALITE GOUT(味の質)』記述欄。
注記: 同記述欄は、口中で感じる風味の『豊かさ(richesse)』の構成要素として、香りの複雑さ、構造(酸味・タンニン・アルコール)、コーティング要素(脂肪感)、残糖、そして苦味(amertume)を列挙する。苦味はここでタンニンとは別項目として並記される。なお同じOIVの2016年官能分析文書は『コンクールはこの文書の対象から除外される』と明記しており、本コンクール規格上の扱いを、OIVの官能分析方法論そのものと同一視しない。
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sensation-bitter —is_listed_as→ "OIV国際コンクール決議の採点票で、味の質の豊かさ(richesse)の構成要素の一つ(タンニンとは別項目)。"OIVのもう一つの文書は、官能パネルの訓練プログラムの中で、苦味を五基本味の一つとして位置づけ、 渋味とは別の感覚として測定できるものと扱っています。
範囲: OIV『ワインの官能分析』文書(2016年3月)パートI b) 官能的鋭敏度を判定する試験の節。ぶどう・ぶどう由来飲料(moûts, vins et autres boissons d'origine vitivinicole)の官能パネル訓練プログラムを対象とする。
注記: 同節は刺激検出訓練で調べるべき味として『甘味・酸味・塩味・うま味・苦味』の五基本味を挙げ、渋味(astringence)はこれとは別枠で『ainsi que(それに加えて)』併記される。文書自体の冒頭Avertissementは、加盟国決議の審査手続きを経ておらず『OIV決議として扱うことはできない』分科会合意文書だと明記しており、本claimも制度上の位置づけの記録として収載し、確立した科学的合意の主張とはしない。
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sensation-bitter —can_be_measured_separately_from→ sensation-astringent日本の酒類総合研究所が取りまとめた清酒香味品質評価用語体系も、同じ標準化の型に属します。 「苦味」はこの用語体系に標準見本・弁別閾値つきで収載され、測定可能な項目として位置づけられています。
範囲: 用語体系のクラス『13.苦味』/用語『苦味』は定義『苦い』とされ,標準見本にチロソール(2-(4-Hydroxyphenyl)ethyl alcohol, TCI 98%+)を充てる。弁別閾値(検知)1.4g/l,標準添加量4.9g/l,清酒中の含有量70-90mg/l。
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ingredient-sake —has_standardized_vocabulary_entry_in→ "宇都宮ほか(2006)の清酒香味品質評価用語体系(酒類総合研究所が日本酒造組合中央会・灘酒研究会・伏見醸友会の協力を得て取りまとめ)"そして、この用語体系がどこに線を引いたかも記録されています。「雑味」は現在一般的に使われる言葉でありながら、 苦味・うま味・渋味やその他の不快な口あたりが混ざった複合的・主観的な感覚だという理由で、 標準用語からは意図的に除外されました。標準化とは、何を測るかを決めると同時に、何を測らないかを決める作業でもあります。
範囲: 『雑味』は,現在一般的に使用されている用語だが,『苦味,うま味,渋味及びその他口あたりが不快な味』という複合的感覚及び主観的感覚が強いため,この用語体系からは除外した。
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concept-zatsumi —is_excluded_from→ "宇都宮ほか(2006)清酒香味品質評価用語体系の標準用語(第1表の86用語)"編集部の読み
ここまで並べた三つの型——法がカテゴリとして定義する、産地・製法を守る、測り方・言葉を標準化する——を通して見えるのは、 公認という手続きが苦味を「消す」方向にはほとんど働いていないという点です。むしろ制度は、 苦味の上限を数値で区切り(アクアビット)、苦味の下限を含有量で保証し(ヴェルモット・ディ・トリノ)、 苦味を測る基準を訓練パネルに与え(OIV)、苦味と紛らわしい感覚をあえて標準の外に置く(清酒の「雑味」)ことで、 苦味に居場所を作ってきました。これは各claimが示す事実の並びから編集部が読み取った構造であり、 出典自体がこの「居場所」という言葉を使っているわけではありません。それでも、公認とは苦味の消し方ではなく居場所の作り方だった、というのが、このノートを書き終えての編集部の見立てです。
開かれた問い
この三つの型は、それぞれ別の法域・別の業界団体の資料から個別に拾い上げたものです。 法定カテゴリ、産地保護、標準化という三つの制度形式が、なぜこの組み合わせで苦味に適用されてきたのか、 そして苦味以外の味覚(甘味・酸味・うま味)にも同種の制度装置が同じ密度で存在するのかは、 まだ主張として書ける段階にありません。この問いは仮説採集箱に編集部の構造仮説として保存し、 横断的に比較した一次資料が見つかり次第、このノートは更新します。